1557gで生まれた小さな命|NICUで過ごした2ヶ月と父としてのはじまり

2021年10月5日
緊急帝王切開の末、わが子はしっかりと産声をあげてくれました。
「無事に産まれてきてくれて、本当によかった……」
胸をなで下ろしたのも束の間、体重わずか1,557グラムの小さな命は、そのままNICUへと運ばれていきました。
安堵と同時に、
「この子は無事に生きていけるのだろうか……」
そんな不安が、私の心にずっと残っていました。
父として何ができたのか。
NICUでのかけがえのない日々を通して、子どもに与えられたもの、親として感じたことを、当時の記憶を辿りながら綴っていきます。
この記事は下のつづきです
1557gで誕生。NICUへ

出産は本当に突然のことでした。
妊娠中からいくつかのリスクがあるとは聞いていたものの、「今日、出産になります」と告げられたときの緊張と動揺は、今でもはっきりと覚えています。
生まれてきたわが子は、両手のひらにすっぽり収まりそうなくらい小さな体。
でも、その体からは想像以上に力強い産声が響き渡りました。
その声を聞いた瞬間、私たち夫婦は思わず涙をこらえきれませんでした。
「よかったね……」
そう言葉を交わしながら、無事に産まれてきてくれたことに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。
しかし、安堵の空気とは裏腹に、手術室には緊張感が残っていました。
間もなく、息子はNICUへと運ばれていきました。
その姿を、私たちはただなす術なく見送ることしかできなかったのです。
保育器の中で、すくすく育ついのち
出産前の大きな不安のひとつは、わが子が自力で呼吸できるかどうかでした。
幸いにも、小さな胸はしっかりと上下し、自分の力で呼吸をしていました。
その事実だけで、私たちにとっては何よりの救いでした。
日に日に成長していくわが子。
妻は1週間で退院し、そこからは少しずつ「子ども中心」の生活が始まりました。。
当時はコロナ禍の真っ只中。面会の機会は週に一度、わずか15分だけ。
それでも、保育器越しに小さな手足が動く様子を見るたびに、
「この子は、ちゃんと生きようとしているんだ」
そんな実感が、確かに湧いてくるようになりました。
NICUの看護師さんたちは、いつも明るく赤ちゃんの様子を教えてくれました。

今日はミルクの量を10mlに増やしましたよ!

お目めがしっかり開くようになりましたね!
小さな成長のひとつひとつが、私たちにとっては宝物。
その変化に触れるたび、親としての気持ちも、どんどん深くなっていったのです。
けれど、すべてが順調だったわけではありません。
“この子は大丈夫”と思いたいのに─白内障の可能性
体重も順調に増え、1900グラムに近づいた頃、ついにNICUからGCU(新生児回復室)へと移動することになりました。
体に付けられていたチューブも少しずつ外れ、モニターも減り、確かな成長を感じられる毎日。
「順調に大きくなっているね!」
そう妻とも喜びを分かち合っているとき…
主治医から一本の電話が入りました。
「目のレンズに曇りがあり、白内障の可能性があります」
その瞬間、また大きな不安が襲ってきたのを覚えています。
病名はまだ分からない。
でも、“何かある”という事実が、再び目の前に突きつけられたようでした。
待ち望んだ退院
白内障の可能性が示されてから、眼科でのさらなる検査、そしてMRIによる脳の確認が行われました。
結果、目の眼底には出血があり、脳にも出血が見られるとの診断。
先天性白内障でした。
ショックではありましたが、それでも私たちは少しずつ現実を受け入れていきました。
それは、NICUで日々元気に泣き、表情豊かに成長していくわが子が、何よりの支えだったからです。
2021年12月9日。出産から約2か月。
体重も2500グラムを超え、ようやく退院の日が来ます。
白内障の手術は退院後、改めてすることに。
週に15分しか会えなかった日々を経て、ようやく一緒に過ごせるなんて——
その喜びは、今でも私たち家族の記憶に深く刻まれています。
あの日から5ヶ月。
お腹の中で異常を告げられてからの月日は、長くて不安なものでした。
正直、現実から目を背けたくなる瞬間もありました。
それでも、毎日成長していく姿を見るたびに、「この子を守りたい」と心から思うようになりました。
そして今——
「この子と一緒に、幸せに生きていこう」
そう強く思えるようになりました。
産まれてきてくれて、本当にありがとう。
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